SUPERDADDY AWARD 2023
NPO法人スーパーダディ協会では、父親が「家族」のことを第一に考え行動することこが日本をより良くすることに繋がると考え、父親の「家族ファースト」を推奨し実践的な活動をしています。スーパーダディアワードでは、毎年、その年を代表するお父さんを表彰しています。
2017年にプロサッカー選手の大久保嘉人さん、2018年に書道家の武田双雲さん、2019年にラグビーW杯日本代表の中島イシレリ選手、2020年に石井食品株式会社の石井智康社長、2021年は宇田秀生選手(東京2020パラリンピックトライアスロン 銀メダリスト)と髙藤直寿選手(東京2020オリンピック柔道男子60キロ級 金メダリスト)のお二方、2022年は権田修一選手(FIFAワールドカップカタール2022日本代表GK、清水エスパルス所属)を選出してまいりました。
そして2023年度は、株式会社トライバルメディアハウス代表取締役社長の池田紀行氏が選出されました。
SUPERDADDY AWARD 2023
NPO法人スーパーダディ協会では、父親が「家族」のことを第一に考え行動することが日本をより良くすることに繋がると考え、父親の「家族ファースト」を推奨し実践的な活動をしています。スーパーダディアワードでは、毎年、その年を代表するお父さんを表彰しています。
2017年にプロサッカー選手の大久保嘉人さん、2018年に書道家の武田双雲さん、2019年にラグビーW杯日本代表の中島イシレリ選手、2020年に石井食品株式会社の石井智康社長、2021年は宇田秀生選手(東京2020パラリンピックトライアスロン 銀メダリスト)と髙藤直寿選手(東京2020オリンピック柔道男子60キロ級 金メダリスト)のお二方、2022年は権田修一選手(FIFAワールドカップカタール2022日本代表GK、清水エスパルス所属)を選出してまいりました。
そして2023年度は、株式会社トライバルメディアハウス代表取締役社長の池田紀行氏が選出されました。
<スーパーダディアワード選出理由>
池田紀行さんは特別養子縁組で迎えたお子様(現在5歳)を全力で子育てしていらっしゃいます。子育ては家庭によって様々なスタイルがあります。「多種多様な家庭ごとの子育てスタイルを学びながら自分たちの子育てスタイルをより良くしていく」というスーパーダディ協会(SDA)の活動の指針があります。池田さんの子育てスタイルが私たちSDAメンバーの心に強く訴えるものがありました。「子どもと真剣に向き合うこととは何だろう」と一度立ち止まるきっかけになったという声も多数寄せられました。子育て、仕事、趣味に対して全力で取り組まれている池田紀行さんの強い姿勢と自らの経験や考えを積極的に世の中に発信することで、子育て中の父親を含む多くの人々に影響を及ぼしていることについてスーパーダディ協会は強く共感いたしました。
<池田紀行氏プロフィール>
――この度は受賞おめでとうございます。
ありがとうございます。
――池田さんにとって、「家族」とはどのようなものですか?
チームだと思います。グループかチームかという話がありますが、グループは、一緒にいるけれども、共通の目的がない人たちの集団のことをいうそうです。チームは、スポーツであれば勝つとか、仕事であれば事業を成功させるなど共通の目標や目的があるものを指すのだそうですが、まさにうちはチームだと思います。どんな共通の目的を持ったチームかというと、「幸せになるために一緒にいるチーム」です。
――池田さんにとっての幸せとはなんですか?
僕の幸せの中にはいくつかの要素があると思うのですが、やはり当然家族というものが一番にあって、あとは親や友人。そして人生でやりたいと思うことを諦めなくても済む経済力。そして欠かせないのは「楽しい仕事」です。
僕は「ワークライフバランス」という言葉が好きではありません。仕事は辛くてつまらないものだから、やりすぎると体を壊すしメンタルを病む。だからやりすぎに注意してバランスをとるために楽しい遊びもやりなさいという考え方で、国が作った言葉です。
金曜日の夕方が一番元気で、日曜日の夜になるとサザエさん症候群で元気がなくなる人生を僕は送りたくないと思っています。1年間は52週あって、毎回52週の金曜日の夜は楽しくなって、日曜の夜に憂鬱になって、月曜日は地獄…。
僕は、人生とはずっと地続きで繋がっていて、オンもオフも全部繋がっているオンだと思って生きています。仕事は人生の中の1/3か、下手したら半分ぐらいやってるものなので、仕事が楽しいものになってないと幸せになれないと思います。
ご飯を食べるための生活費を稼ぐライスワーク的な仕事ではなく、幸せを感じられる仕事というものが幸せな人生の中ですごく大きな要素ではないでしょうか。
あとは、趣味とか、自分が楽しめるものも大切です。最近はたまに息子もウインドサーフィンに連れて行くのですが、自分で楽しんでいたものを息子と一緒にやったらもっと楽しいと知りました。
昔から自分にとっての「幸せの要素分解」をしながら、それらがどれくらい無くなっていくとバランスが崩れて幸せを感じられなくなるのかということを自己分析しています。今の僕の人生は幸せになるための必要なピースが十分満たされているのか、どれが十分で、どれが減ってきているのかみたいなことを、結構細かく思考するようにしています。
――家族という「チーム」にとっての幸せとはどのようなものですか?
みんなで一緒にいるときは幸せだけれども、個別ではあまり幸せではないという状態は不健全ですよね。幸せじゃない人がいるけれども、みんなでいる時は幸せというのは、本当の幸せじゃないと思っていて、3人それぞれが幸せで、その幸せな3人が集まるから、最強に幸せという状況が本当の幸せかと思っています。
特別養子縁組の話にも関わりますが、結婚して僕は会社を作って、自己実現がどんどん進んでいった中で、夫婦としては不妊治療しながらも流産と死産があって僕らは子どもを授かれませんでした。
僕も奥さんも自律自責型の人間を自覚しているので、人のせいとか国のせいとか政治のせいとか、誰かのせいにしない生き方をしてきたつもりです。仕事も自己実現も全部自分が努力すればだいたいのものは叶っていくと信じて、それなりに僕はやってきたのですが……。不妊治療は奥さんがどんなに努力をしても、自分の努力ではどうしようもないものがあって、彼女の自己実現を果たせてない、つまり幸せになれてなかったのです。結婚して2人でずっと幸せに生きていると思っていたのですが。
長い不妊治療の末、奥さんは子宮腺筋症の根治のため子宮全摘出をしたので子どもを産めなくなったのですが、「育てたい」という思いが彼女の中に残っていました。
手術後の病室で「養子を迎えて一緒に育てたい」と書かれた手紙を渡されて、僕らは特別養子縁組で息子を迎えました。奥さんは、いまものすごく幸せそうです。
「育てたい」という奥さんの目的があって、最初は「僕も付き合うよ」というところから始まったのですが、今はもう夫婦同じレベルで息子を溺愛しています。今は僕も奥さんもとても幸せで、きっと息子も幸せだから、それぞれの時間も、家族でいるときも、みんな幸せです。
――奥様の夢を叶える手助けをされてきましたが、息子さんの夢を叶える手助けもしていくのでしょうか?
息子がこれからどういう人生を歩むのかは、これから彼自身がいろいろと考えていくわけですが、こうなって欲しいみたいなものはあります。
ただ彼の人生は彼の人生ですから、基本的には多様な選択肢をちゃんと知るところまでは環境を作ってあげて、その中から自分で選んで決定し、自分の足で歩んでいくところは、彼の思いを尊重し、僕は後ろから支援してあげるのが良いと思っています。
――家族の中での父親としての役割について、どのようにお考えですか?
我が家でいうと、僕はチームリーダー的な位置づけなのかなと思います。
でも、これは僕が何でもかんでも自分で決めてみんなを引っ張るみたいなリーダー像ではなく、みんなで考えて、意見を出し合って、決定して、実行する際に、できる限りのサポートを行うサーバント(奉仕)型リーダーシップに近いですかね。
――子育てにおいて一番大事にされていることはなんですか?
月並みになってしまいますが、とにかく子供と一緒にいる時間の総量がすごく大事だと思います。
「そして父になる」という福山雅治さん主演の映画があります。主人公は仕事人間で、「別に時間だけじゃないでしょう?」という考え方なんですが、リリーフランキーさんが演じる人物は、「 何言ってんの?時間だよ、時間しかないでしょ?他に何があるの?」と言うんです。今はその気持ちがとても分かります。
何を息子に授けることができるのかと言ったら、やはり一緒にいる時間、目が合ってる時間、会話をしている時間、笑い合ってる時間、喧嘩してる時間、叱ってる時間とか、全部なんですけれど、結局時間なんですよね。できる限り一緒に時間を過ごせるようにしています。それがベースですね。
世の中には「遺伝か努力か」みたいな議論がありますが、ほとんどの家庭は血が繋がっているわけですから、後天的な教育だったり、一緒に過ごす時間が短いとしても、先天的な遺伝子が生物学的に残せるわけです。だから何もしなくても遺伝されるものがある。
ところが、うちはそれが0.00%しかありません。遺伝として引き継いでいるものがゼロなんです。ということは、息子が我々夫婦から受け取ることができるものは、遺伝以外の部分で、生まれてから一緒に過ごす時間の中で伝えられたものだけなんです。だからこそ、一緒の時間や、一緒の体験を本当に大切にしています。
「いってらっしゃい」「ありがとう」と言う時は必ず目を合わせて意思疎通をしたりとか、褒めたり叱ったりだけじゃなくて、息子がやったことに対して、今、父親がどういう気分になっているのかということをちゃんと言葉で伝えるとか、そういったところをすごく意識しています。
特別養子縁組を考えている時、「僕らは意思疎通できている夫婦なんだから、言わなくても分かるだろう。」みたいなところもあったのですが、デリケートな話題になればなるほど、びっくりするぐらいすれ違っていました。
息子とも同じで、一緒にいるけれども、ちゃんと言語で伝えることが大切だと思っています。子供だからわかりやすくすることはありますが、赤ちゃん言葉で喋るとか、分かる範囲のことしか話さないようにすることはしていません。ひとりの人間として、できる限り対等なコミュニケーションをするように心がけています。
――池田さんは思ったことを必ず言葉にして伝えるということですが、息子さんにも「思ったことはすぐに言っていいんだよ。」と伝えていらっしゃるのですか?
息子は養子ですから、真実告知というものがあります。昔は20歳になったら、「そこに座れ」と言って、実はお前はうちの本当の子どもじゃないんだと伝え、アイデンティティが危機にさらされる、みたいなドラマがありました。しかし最近は国連の子どもの権利条約の「出自を知る権利」にのっとり、遺伝的ルーツを知らせる真実告知が推奨されています。うちも、生後5日で息子が来た時から真実告知を行っています。言葉がわからなくても、意味がわからなくても、話しているうちに、少しずつわかってきます。
今は産んでくれたお母さんの名前も知っていますし、よくTVドラマのワンシーンで分娩室で赤ちゃんが産まれるシーンがありますけど、そういうのを見ながら、○○さんが僕を産むときも痛かった?? という話もするんですね。息子に「これは聞いちゃいけないことなんじゃないか?」というふうに思わせてしまうところから、いろんなものがズレ始めると思うので、真実告知という一番難しい問題すらも一番話しやすい相手でなければいけない。我々夫婦はそう考えています。
真実告知という一番難しいテーマですら、そのレベルで会話ができる状態というのは、その他の会話は当たり前のようにコミュニケーションが取れる状態だと思うんです。できているかどうかは別にして、そんな関係を目指しています。
――息子さんに言われて印象的だった言葉、もしくは印象的だった行動はありますか?
些細なことではあるんですけれども、うちのご近所に息子と同じ5歳の女の子とご家族がいらして、よく遊びに行ったり、一緒に旅行に行ったりするんですね。
そして、その子はどうやら初恋の人がうちの息子になってくれてるらしいんです。2人とももう5歳なのでお互い意識しているんですが、息子も昔は自分から手繋いだりとかイチャイチャしてたんですけど、最近は「僕は◯◯ちゃんのこと嫌いだよ! ◯◯ちゃんは僕のこと好きだけどね!」みたいな感じなんです(笑)。
「まあ、そんなこと言うなよ。2人はもしかしたら結婚して、一緒に住むかもしれないんだぜ?」みたいなことを言うと、「僕は結婚しない。」と。「なんで結婚しないの?」と聞いたら、「結婚したらこのお家を出て、◯◯ちゃんと暮らさなきゃいけないでしょ? 僕はパパとママとここに住んでいたい。」と言うんです。そういったことから今の3人の暮らしが、彼にとっても幸せなものなんだと感じ、嬉しかったですね。
――息子さんにはどのように成長していってほしいですか?
彼が大人になっていくプロセスの中で、何をしたいとか、何をするかは彼の自由で良いと思っていますが、「どう生きるか」に関しては僕の考えを伝えていきたいと思っていて、それが「自律自責」なんですよね。
息子には、他律他責ではなく、自律自責でものごとを考え、行動できる人になって欲しい。なかなか思うようにいかないことが多い世の中において、うまくいかないのは自分以外の何かのせいだと言ってたって、自分の人生は一ミリも良くなりません。。
誰かのせいにしない、何かのせいにしない。不満があるなら自分で変えてみようよ、自分から動いてみようよ、と。「なんでやらないの?」と聞いたときに「言われなかったから」とか、「なんでできないの?」と聞いた時に「教えてもらってないから」と返ってるような人にはなってほしくない。
自律自責型で生きていければ、大抵のことはことはどうにでもなるというか、必ず自分で切り開いていく力が身につくはずなので、そこだけはできる限り伝えていきたいと思っています。
――夫婦喧嘩はされますか?
します。しますけど、今年で結婚20年ですからね。昔はお互いの間合いとか、ここから近寄ったら刀を抜いて斬るみたいな感覚が掴みきれずに喧嘩になるケースもありましたが、最近はもう20年も一緒に暮らしているので、大体分かりますよね、お互いに。なので、昔のような喧嘩はだいぶ少なくなった気がします。それでも、年に1回くらいは激しめの言い合いがあります。言い合いのきっかけが思い出せないほどくだらないところから売り言葉に買い言葉で、「お前がさ!」「お前って言うな」とかなんかそんな感じの喧嘩です(苦笑)。
僕は「夫婦喧嘩するほど仲が良い」みたいな話は、半分くらい嘘だよなと思うんですけど、喧嘩しないに越したことはないし、本当に分かり合えていれば、確かに喧嘩は少ないだろうとも思うんです。でも、「うちは喧嘩したことないよ」っていうところはそれはそれでちょっと違うふうに思っています。
それは夫婦のうちどちらかが、幾ばくかの我慢をしている可能性が高いなと。全然違う価値観を持った人間が一つ屋根の下に生きていたら、色々あるわけじゃないですか。なんで歯磨いてるのに蛇口開けっぱなしなんだとか、せめて今日は皿洗ってから寝とけよみたいな感情だったりとか。お互い、色々とあるわけですよね。
それをグッととこらえて、お互い我慢を重ねていくのも持続可能ではないので、そこは妥協せずちゃんと主張したほうが良いと思います。それでもお互いのコンフォータブルな関係を保つために、たまに「あ、ごめんごめん、ここはやっぱりちょっと我慢できないゾーンだったのね。」と認識を改める作業はやっぱり適宜やらないといけないと思います。
――お子さんの前で喧嘩をされますか?
夫婦の約束として、「絶対に息子の前で喧嘩をするのはやめようね」と言いながら、息子の前で喧嘩が始まってしまいます(笑)。
息子がいないとろ、聞こえないところでやろうと事前に取り決めをしているんですけれど、そんな余裕もなく始まってしまうからこそ、喧嘩なんですよね。
でも、最近は息子も敏感ですからね。喧嘩が始まったことがわかると、仲裁役を果たそうとか、真ん中でなんか変なことして気を散らそうとか、二人の注意を自分に向けさせようとか、いつもよりももっとバカなことをやって、なんとかこの悪い空気がどっかに飛んで行かないかって試したりとか、いろんなことをやるからいじらしくて。ごめん! と思います。息子へのフォローのつもりで、喧嘩をしたときは、おおげさに仲直りの姿を見せてます。
――仕事におけるこだわりや信念や方針を教えてください。
仕事はマーケティングや広告業界の仕事をしています。いまはまだできていませんが、将来的には水道管をつくりたいと思っているんです。水道管というのは比喩で、仕事をする上でのスタンスというか、価値観のようなものです。対する概念は井戸です。
井戸を掘る仕事は、1ヶ月に1個しか掘れません。1年で12個ですね。でもその一個の井戸を掘ると、そこにいる100人の村人が喜ぶ。水がなくて死にそうになっていた人たちが、これで死なないで済む、病気にかからず済むといって、100人全員が走ってきて、全員にハグされて、涙ながらに感謝される。そして、次の村に移動してまた井戸を掘り始める。素晴らしい仕事です。
一方、水道管を作る人というのは、誰にも見えないところで粛々と水道管を作り、水を流す。ひゅっと蛇口をひねったらどこでも水が出るようにする。何万何十万の人を救っているのだけれども、誰からも涙ながらに感謝されることもなく、ハグもされない。でも、井戸を掘ってるよりも、何百倍も社会にインパクトのある幸せを届けている。
良い、悪いじゃなくて、自分はどっちが好きか、自身の人生で、何を成し遂げたいかというと、僕は水道管なんですよ。正確に言うと、以前は井戸だったけど、水道管に変わった。マーケティングの業界には職人が多くて、今の僕もまだそちら側なんですけど、40とか、50を過ぎて、残りの職業人人生が仮にあと10年しか残ってないと考えたとき、直接相手から感謝される承認欲求の充足よりも、たとえ誰の記憶に残らないとしても、結果として大きなことを成し遂げたと自己満足できる仕事を増やしたいと考えるようになりました。
今、本を書いたり、年に100回ほど勉強会を開催したりしているんですが、そういった活動を通して多くの人のマーケティングの仕方を変えることによって、この日本がもっと商売繁盛できる国になったら、みんながもっと幸せになるんじゃないかと思っているんです。
企業やお店が幸せになれば、そのお客さんも幸せになるし、社会も元気になるはずで、それらをマーケティングの力でもっと良くするための水道管づくりを残りの人生でどこまでできるか、というところにすごくこだわっています。
昔は井戸を掘るのが大好きな人間だったと思います。それが変わってきたのは、やはり加齢によるものなのでしょう。井戸を掘っていると、自分が目の前で達成している自己実現だったり、自己肯定感、自己効力感みたいなものは強いんですが、社会全体にどれだけ役に立っているんだろうと考えると、少し物足りなさを感じてしまったり。
地球の歴史64億年、人類の歴史20万年の中で、僕らの人生って、瞬きにすらならないって言うじゃないですか。それだけ短い刹那な人生の中で、ああ、幸せに生きたなって人生でいいのかと言ったら、僕はそうは思わない、正確に言えば、思わなくなったんです。歴史に名前を残したいみたいな欲求はありません。そうではなく、僕という個人がこの地球上に生まれて死ぬまでのたった100年の中で、地球が、社会が、地域が、業界がほんのちょっとだけ良くなったねっていう状態を遺さないと、本当にただ単に生まれてきて、仕事して、遊んで、楽しんで、死んでいくだけの存在でしかない。もちろん子育ては尊いんですが、人類20万年の中で延べ1000億人ぐらいの人が産まれて死んできた歴史の中で、僕という存在はそれこそ1000億分の1でしかない。であれば、1000億分の1じゃなく、せめて1000億分の1000とか1万くらいの仕事を成し遂げて死にたい。そのためには、井戸じゃ間に合わない。だから水道管づくりに目覚めたんだと思います。
(Q:井戸か水道管か、といったおはなしは息子さんにも徐々に伝えていくのですか?)
どっちもの良さも分かって、どっちも尊くて、その上で自分はどっちが好き?みたいな問いとかは多分していくと思います。井戸を作ったことがない人間には、水道管は作れないかなという気もするので、まずは自力で井戸を作った後、水道管に向かうなら向かう。
僕自身も20代とか30代の時に「水道管が大事だぞ」って言われても、うるさいなと思ったと思うし、井戸も水道管もどちらが良い悪いの話ではありませんから、息子が好きな方を選べば良いと思っています。
――家庭、仕事、趣味すべてを全力で楽しむコツを教えてください。
努力をしてやったというよりは内発的な、やりたいのに時間がなくてできないみたいなことが解放されて今に至っている感じです。
41歳の時に始めた「いつか撲滅運動」という活動がすごく大きくて、何事も「いつかやる」と先延ばしにしない。とにかく一個一個全部やっていっちゃう。すぐにやり始める。今すぐやる。みたいなところから、とにかく「いつかやろう」じゃなくて、「今やろう」なんです。
思考から行動というよりは、行動することで思考が変わっていく現象がやっぱりあると思うんです。やり始めてみたら、めちゃ面白いじゃん。もっとやりたい!みたいになるのが人間というものだと思います。やってみたらなんかイマイチだったなというときは、次のやりたいことをやれば良いだけですから。いろんなことをやりたいと思っている人はたくさんいる思うんですけど、意外と行動はしてない。とっとと行動しちゃおうよみたいな感じですね。
――池田さんにとって幸せを感じるのはどんな時ですか?
仕事を通してお客さまから感謝をもらえた時は嬉しいですし、社員の成長を感じた時もそうですし、あとは息子が寝落ちして寝顔を見ている時も幸せですし。ウインドサーフィンで海の上を飛ぶように滑空している瞬間も幸せです。
多様な幸せがいろんなところにあって、いろんな種類の幸せが、「幸せコップ」の中に満たされていく感じです。昔は仕事で自己実現をするという幸せしかコップの中になかったんですよ。そこに今、妻や息子とか、ウインドサーフィンやロードバイクとか、トレイルランニングやDIYとかいろんなものがある。僕にとっての幸せの要素が多様になったので、コップの中に入っているものが、虹色なんですよね。単一の幸せじゃなくて、きれいな言葉で言ってしまうと、すごく豊かに彩られた幸せコップっていう感じがします。厚みが増したというか、深みがあるというか。
――子供たちが大人になる頃の日本はどうなっていて欲しいですか?
僕は海外に留学した経験はないので、海外を知った上での日本論なのかというと、そうではないかもしれませんが、日本は本当に素晴らしい文化とか、国民性だったりとか、いろんなものがあるじゃないですか。円安の影響もあってインバウンドで外国人旅行客がたくさん来てくれていますが、多くは、なんて素晴らしい国なんだと言ってくれる。
そんな中で、この日本の何が素晴らしくて、何がイケてないのかっていうところを、ちゃんと多くの人たちが自覚をして、日本の良いところをみんなが認識した上で、計画的に伸ばしていくっていうようなことができている状態になってほしいな、とマーケターとしては思います。素材は良いのですから。
人口がどんどん減っていって、GDPもドイツに抜かれてしまって、社会保障料ばっかり増えちゃって、夢も希望もなくきゅうきゅうと生きてる世の中なんか、誰も望んでいないですよね。もっと世界から尊敬されると言ったら大げさですけど、ちゃんと元気な状態で発展、維持していける国になっていてほしいし、そのために僕ができることっていうのは、商売繁盛力を上げるお手伝いをするということだと思っています。
――特別養子縁組について、今感じていらっしゃること、伝えたいこと、知ってほしいことを教えてください。
特別養子縁組は、僕もそうだったんですけど、めちゃめちゃ怖いですよ、最初は。それはたぶん、「よくわからないから」だと思うんです。
「養子ってなんだよ。血が繋がってないのに、この俺が育てるとかってありえないだろう」みたいな感じなわけです。少なくとも、僕はそうでした。
男性は、イエス、ノーをはっきりつけたがる生き物なんだと思います。だから、「ありえない」とか「たぶんやらない」と思っていると、検討すらしない。
僕も同様で、絶対にやるつもりの無いものを検討したってしょうがないっていう思いだったんです。
でも今の時代、情報はたくさんある。ちょっと検索をすれば、基礎的な情報から体験談まで、Web記事、ブログ(note)、YouTube動画など、たくさん取得することができます。やるか、やらないかなんて、正しい情報を大量にインプットして、考えて、夫婦で会話しながら決めればいいんです。正しい選択は、正しくかつ大量の情報に比例することが多いんですから、まずは「やるか、やらないか」の前に学んでみる。
昔は情報が本当に少なかった。ネットやSNSで検索してもほとんど出てきませんでした。
でも今は情報が本もネットにもたくさんある。それなのに、最初から体を硬直させて、情報のインプットすら拒んでしまう。それはとてももったいないことです。
とにかく一回全部情報を入れてほしい。メリットとデメリット、自分たちに合う合わないとか、そういうことを全部情報として入れた上で、夫婦でしっかりと話し合って時間をかけて決めればいいのでは?と思います。
最近では不妊治療も国の保険適用になりましたので、人工授精だけではなくて、体外受精を試みる人も増えましたが、何十万円もかかるんですね。うちもそうでしたけど、不妊治療って始めるより辞める時が本当に難しいんです。ほとんどの人は経済的問題で辞めざるを得ないんですが、日々の生活を我慢して治療費を集めて次こそ、次こそってなると終われなくなってしまう。年齢はどんどん重なっていくし、身体への負担も尋常じゃない。女性は仕事を辞めないと続けられなくなることもあるので、どんどん人生や生活のバランスが崩れていってしまう。
長い間不妊治療をしていると、いろいろ考え始めるわけです。もし授からなかったら夫婦2人で生きていくことになる。2人での人生も幸せだろうけど、本当にそれで良いのか。子どもがいない人生を送り、幸せになれるのか。
ようやくその段階になって、特別養子縁組を検討し始める人が大半です。不妊治療の末の最後の手段みたいな感じでしょうか。特別養子縁組は子どもを授かれなかった夫婦が子供を得るための制度じゃなくて、そもそも社会的養護、つまり子供のためにある制度なので、その点の理解が広がってほしいです。。
いずれにせよ、もっと早い段階から子育てするもう一つの選択肢として特別養子縁組の制度があり、経験者がいること、検討したけど選択しなかった人もいるって情報くらいは、不妊治療をしている時から知っておいて損はないと思うんです。
養子を迎える年齢上限は45歳に設定されていることが多いんですが、特別養子縁組を考える人達は、大体不妊治療を経た40歳過ぎの方々が多いので、常に時間や加齢を気にして悩みながら焦ってしまう。焦ると視野が狭くなっちゃいますから、30代後半ぐらいになったら、やるかやらないは別として、養子という選択肢を検討してもいいんじゃないのかなと思います。とにかくまずはたくさん検索してください。
――今後の目標を教えてください。
「いつか撲滅運動」が僕にはすごく良かったので、今、エクセルに僕の年齢、奥さんの年齢、息子の年齢を入れて、いつどんなことをやりたいかを全部入力しているんです。中学になって部活とかやり始めると、親とは遊んでくれなくなるじゃないですか。
でも、ウインドサーフィンとか、富士山麓での本格的なマウンテンバイクになると、中学生高校生になってもお父さんと一緒に遊んでいるケースはよくありますよね。本格的な趣味に引きずり込みながら、父と一緒に中学校くらいまでは遊んでくれるような計画を立てています(笑)
僕はまだ仕事真っ盛りで今は無理ですけど、いずれ仕事を少し調整をしながら、息子の夏休み40日は僕も仕事を休んで、一ヶ月かけてキャンピングカーで北海道一周とか、北アルプスを日本海までテント泊縦走登山とか、1年に1回くらいやっていきたいと妄想しています。
息子と一緒に遊ぶのは小6までがピークだと思うので、そこまでに息子や家族と一緒にやりたいことリストをつくっています。思い浮かんだものはとにかく全部書いて、一個一個計画的に潰していきたいと思っています。
――世の中のお父さんたちに伝えたいことをお願いします。
人はなぜ生まれ、なぜ生きるんですか?って言われたら、僕は「幸せになるため」って答えています。だから「全力で幸せになる努力をしよう」ということを伝えていきたいと思います。
一生懸命幸せになろうとするっていうことから逃げないっていうんでしょうか。
だから自分は何が欠けると幸せを感じることができないのか、何が僕の幸せにとって必要なピースなのかっていうのは、自分なりに相当考えて研究してきました。
例えると、30種類のスパイスで美味しいカレーを作るようなものです。ひとつひとつのスパイスが調和して「おいしさ」をつくっている。幸せって、それに近いと思っています。
一個一個のスパイスだけでは美味しいカレーは作れない。でも、その30種類をどういうタイミングで、どうやって調合すると美味しいカレーになるのかということを試行錯誤していく。まさに幸せのレシピみたいなものですよね。それがわからなくて幸せになりたいって言ってたって、難しいですよね。試行錯誤しながら30種類のスパイスを使って、何回も何十回もカレーを作るしかありません。そのうち美味しいカレーができたら、もうそこからは、計画的にスパイスを調合して美味しいカレーを作り続けるだけだし、これも入れてみようかなとか、こっちもやってみようかなって、より美味しくしていける。ちょっと説教臭いかもしれませんが、幸せとは「なりたい」と願うものではなく、「幸せになるぞ」と目的的に努力を重ね、「試行錯誤」していくことで得られるのだと思っています。
――ご家族にメッセージをお願いします。
これからもワンチームでよろしく!
インタビュー:魔法つかいKOJI(SDA事務局長)
写真:蓮見徹(Toru Hasumi)